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教師であり父でありApple好きな人が書くブログ

昭和22年の学習指導要領を読んだら最近感じていた疑問の答えが見えてきた

この気持ちはなんでしょうか?先ほど、惇先生(@jun3010me)のブログを読んで、心が震えました。

惇先生のブログを読んだ後、私も昭和22年度の学習指導要領を読んでみました。いや〜痺れました。ここ最近感じていたこれまでの教育に対する疑問や、今の教育に対する問題点などについて改めて考えてしまいました。惇先生は感動そのままHHKBにてブログを更新したようですが、私は感動そのままMacBookにて感想を書いていこうと思います。

 

昭和22年度 学習指導要領の内容について

まず目にした文章。惇先生も紹介していますが、この指導要領は序文からもう本当に熱いです。

いまわが国の教育はこれまでとちがった方向にむかって進んでいる。この方向がどんな方向をとり,どんなふうのあらわれを見せているかということは,もはやだれの胸にもそれと感ぜられていることと思う。このようなあらわれのうちでいちばんたいせつだと思われることは,これまでとかく上の方からきめて与えられたことを,どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあったのが,こんどはむしろ下の方からみんなの力で,いろいろと,作りあげて行くようになって来たということである。

私がもっとも感動した部分はやはり「これまでとかく上の方からきめて与えられたことを、(略)こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、作り上げて行くようになって来たということである」です。

日本の教育が未だにSociety3.0 (工業社会)から変わっておらず、画一的な教育が行われていると話題になっています。私自身もまさにそうだと感じています。

 

未だに先生の指示に黙って従わせる文化はあるし、みんなで同じことをすることに美徳を感じそればかり目指す各行事。Society3.0時代はそれで(むしろその方が)良かったのでしょう。

 

しかしSociety5.0の今は違います。上からの指示でみんな同じことをするのは人ではなく、機械に変わりました。指示待ちではなく、何が問題か見出し、みんなであれこれと解決策を考え実行することに価値があるとされる時代になりました。ここでもう一度冒頭の文章を紹介します。

これまでとかく上の方からきめて与えられたことを,どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあったのが,こんどはむしろ下の方からみんなの力で,いろいろと,作りあげて行くようになって来たということである。

これ、今から70年前に出された学習指導要領ですよ?昭和22年というのは1947年、まさに戦争が終わり、これから新しい国を作り上げていこうという時代です。新たな国づくり、新たな時代作りに向けて、当時の人たちが真剣に考え議論し、この指導要領を作成したと考えると自分の内側からフツフツと何やら熱いものが込み上げてきます。

 

教育の目指すべき根本は今も昔も変わっていない

昭和22年の学習指導要領を読んだ後に、今回改定された指導要領解説を読んでみてください。

(1)改訂の経緯

今の子供たちやこれから誕生する子供たちが,成人して社会で活躍する頃には, 我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される。(中略)このような時代にあって,学校教育には,子供たちが様々な変化に積極的に向 き合い,他者と協働して課題を解決していくことや,様々な情報を見極め知識の 概念的な理解を実現し情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと, 複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められ ている。

実は私は、最近強く感じていることがあります。今回改訂された指導要領を見ても、実は前回の指導要領改訂時に出された経緯と特に大きな違いはないんじゃないか、と。10年に一度改訂されている指導要領ですが、言い回しや伝え方の違いはあれど、目指すべきものは変わっていないんじゃないかと。

そして今回、昭和22年の学習指導要領を読んで私のこの疑問は確信へと変わりました。やはり国が考える教育の方向性は、今も昔も変わっていないのだ、と。しかし同時にこうも思うのです。なぜ同じような内容なのに何度も改訂されているのか。なぜ指導要領で書かれている教育の目標は、学校現場ではほとんど達成されていないのか。

 

今一度、ゆとり教育や総合的な学習の時間を見直してみた

ゆとり教育、総合的な学習の時間など、学校に導入されて失敗だったと言われるものがあります。個人的には失敗かどうかわかりませんが、少なくとも本校で行われている総合的な学習の時間で行われている内容を考えると、導入時の目的とは違った用途で扱われているのだろうな、と感じています。総合的な学習の時間について調べたら、文科省のホームページにこんな文章がありました。

総合的な学習の時間は、変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとすることから、思考力・判断力・表現力等が求められる「知識基盤社会」の時代においてますます重要な役割を果たすものである。

 あれ?と思いませんか?まさに今私たちがよく目にするアクティブラーニングや主体的対話的で深い学びに通ずるものを感じませんか?本来総合的な学習の時間に求められた課題設定能力や課題解決能力の育成などは、主体的対話的で深い学びで育成される力と同じなのでは?と感じるのは私だけではないはずです。結局、何度も何度も改訂されている学習指導要領ですが、根本的な内容、求めているものは変わっていないのかもしれません。

 

ゆとり教育、総合的な学習の時間はなぜ「失敗」と呼ばれるようになってしまったのか。なぜ、前後に掲げられた教育の目標は未だ達成されていないのか。少々長くなってしまったので、続きは後日更新しようと思います。最後までお付き合いありがとうございました。