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教師であり父でありAppleが好きな僕が書くブログ

「学校の当たり前をやめた」一緒に【当たり前】に疑問を持ちませんか?

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皆さんは、学校にはどんな当たり前があると思いますか?

 

当たり前のことに改めて疑問を持つって結構難しいですよね。僕は集会の時の体育座り、授業前後の号令、生徒と一緒に取り組む掃除…などがパッと思い浮かびました。

 

学校って割と当たり前のことと言って特に検討もされずにこれまでを踏襲していく風潮があるんですよね。そんな学校現場の当たり前に疑問を持ち、生徒と先生のために立ち上がった校長先生がいます。

 

麹町中学校の工藤優一校長先生です。その工藤校長先生が書かれた『学校の「当たり前」をやめた』を読みました。「言われてみればそうだよなぁ」という僕達教師にとってたくさんの発見がある素敵な本でした。

 

今日は本の内容を僕の感想も交えながら書いていこうと思います。

 

手段にこだわりすぎて目的を見失う

これ、学校ではよくあることなんですよね。いえ、学校でなくてもよく目にする光景かもしれません。はじめは目的があった上での手段なのに手段が目的になってしまうというパターン。

 

行事

本校では9月に体育大会が行われます。こういった行事には担当の先生がいて、会議で提案されるのですが最も大事な目的がないがしろにされることが多いです。

 

提案時も「目的に関しては紙面にあるので見ておいてください。では、選手決めの仕方ですが…」などと話が進められる。

 

選手決めや種目ありき、本番をどう乗り切ろうという考えで進められていくこれら行事の提案には、どれだけ生徒の力を伸ばそうと考えられているのか疑問です。

 

結局担任がそれぞれクラスの生徒と目的を考えていかなくてはいけないのですが、中には勝利至上主義になってしまうクラスもあるんですよね。そういったクラスはせっかく頑張っても行事の後にトラブルが続出してしまう。残念です。

 

宿題

本来生徒の学力は授業で上げていくものであり、宿題は反復演習だったり授業外の補足や知的好奇心を高める課題だったりするはずだと思います。宿題は提出することが目的ではない。

 

けれど生徒の学力も考えずに一人では解けないような問題が、そしてかなり多くの量が平然と出されることが多いです。夏休みの宿題、どれだけの量を生徒に出しましたか?答えも配らずに「やれ!」あるいは「わからなければ答えを写せ!」で課題解決能力を伸ばすことができるでしょうか?

 

また、宿題の提出をチェックし、提出されていなければ最悪残って補習をさせることもあります。(本校でも以前そうでしたが、僕が研究主任となってやめてもらいました)。

 

補習が悪いとは言いません。丁寧に教えるなら良いのですが、提出しなかった生徒を集めて説教なんてしてませんよね?そこにどんな教育的効果があるのでしょう?

 

もう一度手段と目的の見直しを

行事や宿題はじめ諸々の活動は、本来きちんとした目的があったはずなのにやること、出すことなどの手段にこだわりすぎてしまってはいませんか?

 

そういったことをちょっとでも一人一人の先生が考えていくと、学校ってもっともっと生徒の力を伸ばすことができると思うんですよね。あまりにも多くの教育的活動が行われていますから。

 

そして「これは手段にこだわっているな」と思ったら思い切ってやめましょう。若手の先生だと中々難しいかもしれませんが、そういった場合は一人で声をあげるのではなく、わかってくれそうな人に話すのも手段の一つです。

 

そして、徐々に共感してくれる人が増えたら機を見て発言するのです。「これおかしいよね?」で終わってしまったらただの愚痴。手段で終わってしまっていますよ!笑

 

宿題の廃止

さて、工藤校長先生の著書に戻りましょう。

 

工藤校長先生は、当たり前のことを見直し、必要ないと思ったものはどんどんとやめています。その例としてまずは宿題の廃止です。

 

宿題を出さないってことは生徒は家で勉強しないってこと?それじゃ学力は落ちるんじゃ?

 

これこそが僕ら教師や保護者の方が考えてしまうことなんですよね。でもそこにちょっとだけこんな疑問を付け加えてみてください。「やらせる勉強に意味はあるのか?」

 

学校が宿題を出さなくても、生徒自らが勉強する必要があると思う取り組みを考える。中々難しいことかもしれませんが、これが実践できたら「なぜ勉強するのか」の答えを生徒自身が見つけることができると思いませんか?

 

本書でも色々な手で宿題をなくしつつも生徒が勉強したくなるような取り組みが書かれていました。

 

授業内容、ノートの取り方、テストのあり方…これらがうまく噛み合わさり、複数の手立てを行うことで宿題を出さなくても勉強する生徒になっていくんだと勉強になりました。

 

宿題をすることが目的じゃありませんよ?学力を伸ばすことが目的であれば、手段はなんだって良いはずです。生徒と目的の共有ができたらきっと色んな手段で力を伸ばそうとするんじゃないですかね?

 

定期テストの廃止

テストってなんのためにあるの?

 

その答えは学力をきちんと測り、生徒の学習状況を評価するためですよね。じゃあそのテストを年に○回と決めることに意味はあるの?そこにこだわる必要はないはずです。あくまでテストの実施は評価の手段であるはずですから。

 

本書では定期テストの弊害として一夜漬けが挙げられていました。テスト直前に付け焼き刃で一夜漬けをする。定期テストがあるせいでこういった悪習を生徒が身につけてしまうんだ、と。

 

では定期テストをせずにどうやって学力の定着を評価するのかというと、単元の終わりにその単元のテストをするのだそうです。…これこそ当たり前ですよね?

 

定期テストがあるから単元の終わりのような区切りの良いところではなく、それまでの数ヶ月の取り組みを出題しなければならなくなる。でもその定期テストの実施がなくなれば…各教科で好きなタイミングでテストを実施することができる。

 

よくよく考えれば当たり前のこの方法。小学校では当たり前なのになぜか中学校ではそれが当たり前じゃなくなり、定期テストが当たり前になる。

 

生徒は単元の終わりにテストをするので頭がごちゃごちゃせずにすむ。先生は単元ごとの評価をきちんと行うことができる。良い方法だと思いました。

 

ちなみに、麹町中学校では実力テストのようなものは行わられるそうです。これは入試では広い範囲から出題されるので、その対策にもなるからだそうです。これも納得。

 

固定担任制の廃止

僕は知らなかったのですが、担任をクラスで固定する決まりはないんですってね。法律でも生徒○人に対し教員○人という決まりはあっても担任は好きなように任命できるそうです。恥ずかしながらこの本を読むまでは知りませんでした。

 

工藤校長先生も担任の固定にはメリットがあると述べています。しかし、それ以上にデメリットもある、と。例えば担任間の力の差がそのまま保護者に「当たりの先生、外れの先生」という考えを生ませてしまう。

 

担任が固定されると学級王国のため先生自身にとっても自分の生徒、他の人の生徒という考えが生まれてしまう。言われてみれば心当たりもあります。

 

そうではなく、担任は固定せずにみんなで生徒全体を育てていこうと。生徒にしてみればいろんな先生と関われるわけですから、合う合わないのデメリットを抑えることができます。

 

先生の負担も減ります。余談ですが、カナダでは担任は複数いて、月〜水の担任と木、金は別の担任がいるような学校もあるそうです。

手段と目的を混同しない、上位目標を見失わない、自律のための教育

冒頭に書かれていたこの言葉が全てなような気がします。工藤校長先生が大事にしている3つだそうです。

  • 手段と目的を混同しない
  • 上位目標を見失わない
  • 自律のための教育

こういった視点で改めて自分の学校を見てみると気がつくことがたくさんありそうです。そのきっかけができたという意味で勉強になった一冊でした。

 

一緒に当たり前に疑問を持って子供たちのために行動しませんか?